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馬場 あき子 選

選者紹介
 馬場 あき子 (ばば あきこ)

昭和3年東京都生まれ。昭和22年、「まひる野」入会。窪田章一郎に師事。昭和53年、「かりん」創刊。昭和61年、『葡萄唐草』で第20回迢空賞受賞。平成6年『阿古父』で読売文学賞受賞。同年、紫綬褒章受章。平成15年、日本芸術院賞受賞。平成19年『歌説話』で紫式部文学賞受賞。「朝日歌壇」選者。「歌説話」の世界」ほか著書多数。



天
3 雪の原きしきし踏んで郷ゆけば大腿筋より少年となる

 雪原をゆく楽しさは、たちまち時間を少年の日まで戻してしまう。現実にそこに住んでいる人にとっては雪の中のくらしは苦難のことも多いが、この歌は「郷ゆけば」とうたっているので、たまさか訪れた故郷などであったかもしれない。
この歌は下句によって飛躍的に面白味が加わった。「大腿筋」の働きに気がついたこと、そして、この身体用語が詩語として生きることを発見したこと、こうした言葉の発見は歌にとっての生命である。




地
19 いにしえに火を点けるすべみつけたる人想いつつ枯草を焼く

 人類が火を得た歴史は一四二万年も遡れるという。日本では縄文時代が念頭に浮かぶであろうが、錐もみによる摩擦や、石を打ち合わせて出す火花などが活用された。そんなはるかな祖先たちのくらしを思いながら、枯草焼きをしている。
たぶん、その手にあったのは簡便なライターなどで、その手軽さが火の文化の重さを忘れがちになっていることを、「想い」に托しているのだろう。今日また、「火」の文化は火きな局面を迎えているのだ。




人
139 ちぎり餅母がちぎりて児が丸め笑ふ声せり春の声なり

 「ちぎり餅」といういかにも楽しそうな、美味な食作りをしている母と子、子は「児」という文字が使われているので幼な子のようだ。作者はそれを見、あるいは会話や笑い声を耳に聞くことによって、ありありと現場が見えてくる祖父母の立場にある人だろう。馥郁とした和気が伝わるよい場面が想像される。結句の「春の声なり」とまとめた言葉も生きており、人間の春の豊かさが広がる。




十首選
29 相合はぬ親子なれども子のシャツを夫は好みてまたも着てをり
135 杖もてる小さき地蔵山裾より歩み出さんか春雪ふぶく
227 またしても行方不明のネックレスボトルの首に巻きつけており
607 胃瘻せし義母を背負ひて書寫山の千年杉を見上げてをりぬ
727 亡き妻にかくまで似るか長女の声元気ですかにはっと戸惑う
945 シベリアをついに語らず逝きにけりライ麦パンを好みし父が
1023 お上手ねお上手ねと褒められて蛇のごとく胃カメラを呑む
1219 書写の山樹林の道にひとりゐて千の沈黙に畏れいだけり
1316 老い我を大きゅうなったと目を細め両手につつむ視力無き母


馬場 あき子 選 佐佐木 幸綱 選 永田 和宏 選 栗木 京子 選
小畑 庸子 選 小見山 輝 選 上田 一成 選 水野 美子 選








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