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永田 和宏 選

選者紹介
 永田 和宏 (ながた かずひろ)

昭和22年滋賀県生まれ。昭和42年「塔」入会。現在編集責任者。平成10年『饗庭』で第3回若山牧水賞、第50回読売文学賞受賞。平成16年、『風位』で第38回迢空賞、第54回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。「朝日歌壇」選者。「百万遍界隅」ほか著書多数。



天
873 ほのあかき月の光が拳骨の疵もつ扉にぢつと触れゐる

 拳骨は握りこぶし。作者自身か、あるいは息子か、誰かがかつて扉をこぶしで打ちつけたことがあった。その疵を見る度に作者の胸にはその時の傷みがよみがえってくるのであろう。いま、月の光がその扉を照らし、その疵がほのかに見える。結句「ぢつと触れゐる」が実にうまい。月光はあからさまにその傷を浮き上がらせるのではなく、その疵を慰撫するかのように、じっと「触れゐる」のである。それはまたそのまま作者の思いでもあろう。




地
342 好き放題にさせておけば妻元気迎えに来いと留守電にあり

 投稿歌には得てして暗い歌が多いが、時にはこんな笑える作品もあっていい。
好き放題にさせておけばどこまでもいい気になってと舌打ちしつつも、渋々か、あるいはいそいそとか、迎えにでかけようとする亭主が可愛い。しかし一方で、家に縛りつけておいて、いろいろうるさく干渉されるよりは、勝手にさせておいたほうが好都合という思惑もあるか。「留守電に」というのも時代を反映してうまい表現だろう。




人
992 雨降れば校門に待つ赤き傘みつと言う名の母小さかり

 小学校の頃の想い出であろうか。風景としてはむしろ陳腐に過ぎる景である。
しかし、「みつ」という母の名を出したことで歌が一気に追ってくる気がする。
「みつという名の母小さかり」には、子供心にも儚げに小さく見えた母の姿が感じられ、ほのぼのとした風景でありながら、どこか悲傷の影を落としているようでもある。




十首選
26 些細なる遺産なれども冒頭に仲良くあれと母は記せり
67 三百七十一メートルの書写山を一メートルだけ転んで下りる
429 窯出しは明日となりたり窯口の数多靴跡に冬陽さしくる
608 図太い生命線を握りしめショートカットが似合つてました
878 喪主なれば今日の一日は泣くまいと言いやれば甥のあわれ頷く
910 其所此所が父似母似であることのつくづく沁みる晩年である
1172 縦横の変換一つクリックし原稿と遺書は未だ手つかず
1174 ひとすぢに身を切り開く バセドー病も緑内障も知らない海鼠
1261 ぬれ紙色に雪は奥山閉ざしたり祖母が機織るしゅるりトントン
1388 木魚が畳の上で踊つてる忘れろ三十九才で逝きし妹を


馬場 あき子 選 佐佐木 幸綱 選 永田 和宏 選 栗木 京子 選
小畑 庸子 選 小見山 輝 選 上田 一成 選 水野 美子 選








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